投稿日 : 2014.10.18 記事 : 樫田那美紀 写真・ムービー:「秋月」副島秀雄(メインビジュアル小鹿田街並)・樫田那美紀・今野昭彦
大分県日田市から車で約30分、
しかし、パッと視界が開けたかと思うと、 小鹿田地区は別名「皿山地区」。焼き物の里らしい地名です。
「おー!シゲちゃんだ!」
茂木さんは、生まれながらの造形センスを持ち、
その人間的な魅力から小鹿田内外での人望も厚く、
「轆轤は窯ごとに二台まで」という小鹿田のきまりに則り 坂本義孝窯茂木さんと一旦別れ、いざ小鹿田の道を散策。 最初に出会うのが、ここ坂本義孝窯です。
中では義孝さんと息子の庸一さんがちょうどろくろを前にしてお仕事の真っ最中。 義孝さんは、ろくろで大きな徳利を成型をされています。
ここ義孝窯は、先々代の時一度陶業から離れたものの、 久野さん曰く、義孝さんの作るものは作りが厚手でしっかりとしているのだとか。 一方庸一さんは…。
「ビーッ…」と鈍い音で次々と描かれる模様。
庸一さんの鉋を持つ手が均一なスピードで器の上を走ります。 その様はまさに魔法のよう。
この技法は単なる模様ではなく、鉄分が多く重たい小鹿田の土を、 柳瀬朝夫窯
快晴のこの日、観光客の中には海外からこられた方もちらほら。
朝夫さんは小鹿田の昔ながらの風合いを今に伝える貴重な作り手の一人。 前述の坂本茂木さんとも長く切磋琢磨してきた盟友でもあります。 朝夫さんを「あーちゃん」と呼ぶ久野さんとも長年の付き合い。
朝夫さんは久野さんの細かい模様や大きさの注文にも忠実に答え、 黒木富雄窯
「ギィ…ゴトン…」
唐臼の音を聞きながらうねる道を進むと、
共同登り窯のすぐ隣にあるこの富雄窯。 一見些細なことに思えるろくろの回る方向が、出来上がるものに微妙な差異となる、と久野さん。
富雄さんの後継者黒木昌伸さんが外で器の向きを入れ替えています。
器を見る優しい目と、そっと添えた両手が印象的。 黒木昌伸さんは小鹿田の若手の中でも新しい新作民藝に挑戦する今要注目の作り手です。 坂本浩二窯
下り坂をゆくと今回最後の訪問場所、
快晴のこの日はどの窯も器を乾燥させる天日干しに大忙し。
傍では、坂本浩二さんの奥様がせっせと器の向きを動かしています。 小鹿田はほぼ全ての窯が共同の粘土採集場所を持ち、唐臼や登り窯までが共同。
窯それぞれの仕事具合が小鹿田全体の仕事に影響を与えるため、
唐臼で粉砕した粘土の水気を飛ばすための穴窯。 様々は工程を経るため、作陶に使われる粘土になるまで最低一ヶ月もかかるのだとか。 丁寧なつくりに定評のある浩二さんは現代の民陶界の中でも特出した存在。
小鹿田の若手で浩二さん以上に大皿を引ける作り手はいないそうで、 小鹿田真昼間の大宴会へ
そしてたどり着いたのが小鹿田唯一の食事処である「山のそば茶屋」。 私もなんと坂本茂木さんのお隣で、参加させていただきました。
久野さんのお土産の日本酒を片手に、小鹿田焼の器に盛られた料理をいただきます。 茂木さんの海外旅行のお話や久野さんとの昔話に場は湧きます。
笑い話になったかと思えば、さすが幅広い年代の作り手が集う場。
盛り上がる中、こっそりと茂木さんに私の将来の悩みを打ち明けると、 ――どの道に進んでも厳しいのが人生。自分の生きたいように生きなさい。
小鹿田のひとときは、違う国に入りこんでしまったような、不思議な時間でした。 でも心には、確かにあの言葉がはっきりと残っています。
いつか、もう少し背筋を伸ばした私で、あの皿山を登ろう。
小鹿田焼はこちらです。近日新しい商品も入荷予定です! アーカイブ
・第一回 小代焼 ふもと窯 |
民藝に通づる手仕事の中で、今最も注目を集めているのは小鹿田焼(おんたやき)、と言っても過言ではありません。しかし、一口に小鹿田焼と言っても窯は10軒あり、作り手もさまざま。moyaisでは黒木富雄窯、柳瀬朝夫窯、坂本義孝窯、坂本浩二窯の4つの窯の物を取り扱っています。今回は、その窯めぐりに同行した大学生、樫田那美紀さんの体験をもとに、小鹿田焼について簡単にご紹介させて頂きます。