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太田哲三窯

小石原焼とは

小鹿田焼と兄弟窯と称される小石原焼。
今知名度としては小鹿田焼のほうが高いぐらいですが、元はといえば小石原焼のほうが歴史は古く、江戸時代初期に朝鮮系の技術が導入されて以来さかんになったといわれています。小鹿田焼は、その後小石原の陶工が小鹿田に移り住んではじまったものです。
そして小鹿田焼は大分県日田市、小石原焼は福岡県朝倉郡と県こそまたぎますが、地理的には非常に近く、車で30分ほどの距離関係にあります。
ここであえて小鹿田の名を出しましたが、小鹿田と小石原はそのような兄弟関係にありながら、別々の道を歩んできました。一方の小鹿田はその集落が未だほとんど観光地化もされておらず、昔の姿を残す数少ない場所であり、その伝統的な姿は物作りにも比例しています。小石原はその逆で、積極的に営業展開をしたおかげで観光地化され、新興の窯元も増えて一大産地となったものの、ものづくりは多様化しました。ですから一口に小石原焼と言っても今はその焼き物の姿は窯や作り手によって様々です。栃木の焼き物の産地、益子に行ったことがある方もいらっしゃると思いますが、一見すると何が益子焼なのかは分からないと思います、それと同じです(もっとも小石原の場合、飛び鉋や刷毛目、櫛描きといった分かりやすい装飾があるため、それらしくあるものも多いのですが)。愚直に伝統を守る小鹿田と対称的に、伝統と新しいものが入り混じり、模索を続けているのが小石原焼と言えるかもしれません。

太田哲三窯

さて、そんな小石原焼の窯元が集まる、福岡県朝倉郡東峰村に窯を構える太田哲三窯。
太田哲三さんは故太田熊雄氏の三男ですが、太田熊雄氏と言えば、焼き物好きなら知る人ぞ知る、小石原を代表する名陶工であり、民藝運動に深い関わりのあるバーナードリーチの指導も受けています。哲三さんはその太田熊雄氏の元で7年厳しい修行を積みましたが、太田熊雄窯の後継には兄の孝宏氏がおり、三男である哲三さんは後を継ぐことができないため、昭和50年に分家して今の場所に築窯しました。熊雄氏の指導のもと、修行時代から多くの数物を作り続けてきた技術は現代の小石原を代表するものとなっています。そして今息子の圭さんとともに仕事に励んでいらっしゃいます。ちなみに圭さんの弟は太田潤さんといって、近くに工房を構え、ガラスを吹く職人さんです。

特徴

飛び鉋、刷毛目、指描き、櫛描き、イッチンといった装飾技法は古くから伝わる小石原焼の特徴の一つです。

飛び鉋

飛び鉋

刷毛目

刷毛目

指描き

指描き

櫛描き

櫛描き

魅力

飛び鉋や刷毛目といった装飾も魅力の一つですが、それはしっかりとした形があってのものです。真っ直ぐなところはは真っ直ぐ、丸味の有るところは丸く、絞るところは絞るというように形にめりはりがあり、縁や高台はしっかりと締められています。それは作り手の技術力が高いからに他ならず、物に魅力を与えています。
そして太田哲三窯の器は丁寧なつくりをしています。小鹿田の魅力は粗野なところにもありますが、それと対照的と言えるかもしれません。丁寧なものづくりは、器の見込みにも表れています。小鹿田や、沖縄のやちむんもそうですが、なるべく一度に多くを焼くために、器を重ねて焼きます。その時に高台が重なる部分の釉薬を削り取ります。それを蛇の目と言いますが、 哲三窯のものにはそれが見られません。一度に多くを焼けないため、非効率ではありますが、あえてそうしているのです。小鹿田に比べれば値段がやや高めになるのもそういったところにあります。

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